ミライズ創業前夜。呉宗樹(代表取締役)のDiscover story

マイノリティである事に、誇りをもてなかった過去の自分(幼少期〜ファーストキャリア)

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My name is Jong.
I’m the president of MeRISE.
I was born and raised in Yokohama, Japan.
And my nationality is South Korea. I’m a third generation.

初めまして。
ミライズ代表の呉 宗樹(オ ジョンス)です。
私は日本の横浜で生まれ育った、在日韓国人3世です。

Actually, in my childhood, I thought I was Japanese.Because I was born and raised in Japan, educated in Japan, and speak only Japanese. 

実は幼少の頃は正直、日本人だと思っていました。日本でずっと生まれ育ってるし、日本の教育を受け、日本語しか話せませんでしたので。

But my name is “Jong Soo Oh”.
That was not like Japanese. In my youth my friends treated me as "Korean".

でも名前が「呉 宗樹」で読み方が
「オ ジョンス」ですから、全然日本人っぽくないわけです。ですので子供の頃、周囲からは「韓国人」として扱われました。

Every Time I was told
“You are not Japanese.”
I felt lonely and like I was  thrown into the dark.
I was alone.

幼心に「お前は日本人じゃない」と言われる度に、どこか孤独を感じ、闇の中に1人放り込まれるようでした。似たような友人が周りにおらず、どこかひとりぼっちの様な感覚がありました。

I’ve been pretending not to care.
I tried not to be in the MINORITY as much as possible. I always chose the MAJORITY to be a member of this country,  more than what I wanted to do.

別に気にしてないフリをしていました。
それからは、自分がなるべく「少数派」にならないように気を付けてました。この環境に適応しようと、私は自分がどうしたいかより、いつしか潜在的に「多数派」を選ぶようになりました。
 
Eventually I went to the college everyone else would go to.And I joined a company that the society recognized.It was how I chose my first career. 

気づくと思考は止まり、皆が行くからという位の感覚で大学へ行き、皆が就活をしているから位の感覚で、社会が認めてくれる就職活動をして新卒で入社をしました。
これが私のファーストキャリアでした。

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人生の価値観が180度変わった、26歳の時の決断(キャリアブレイク)

And I worked, worked, worked, and worked.
4 years passed.  And I thought about my future.

I spent my life in the majority.  I asked myself for the first time, 
“What do you wanna do?”

働いて、働いて、働いて、約4年の月日が流れました。その時やっと自分の将来を考えたんです。
ずっと一生懸命に「多数派」を生きてきましたから。初めて自分に問いかけたんです。

お前はどうしたいのか?
お前はどうありたいのか?と。

Little John said, “You need to face your roots. Go to South Korea.” And I said, “Okay, Little John.”
When I was 26, I made a decision.
I quit the company, and I decided to go to South Korea, the land of my nationality.

その時心のどこか深い奥底にあった、リトルジョンスが言った気がしたんです。
「一度自分のルーツを見てみな。韓国に行け。」と。そして「OK、リトルジョンス」
と私は答えました。26歳の時、私は決断しました。周囲に流される事を辞め、会社を辞め、それまでの環境を全て一度捨てて、自分の国籍を持つ韓国に行くことを決めました。

I lived there for thirteen months,and spent time with a lot of friends who came outside the country, studying language, going out to the nightclub, you know. Through the experience, I found that 
I was not Korean, nor Japanese.

13ヶ月間、韓国に住み、国外から来た色んな国や人種の人たちと時間を共に過ごして、語学を学んだり、遊びに出掛けたり。そんな経験を通して、私が気付いたのは自分は韓国人ではなく、日本人でもないということでした。

I was Asian.
I felt like I finally got my nationality.  My second life started in South Korea as an Asian. 

私はアジア人でした。
ついに自分の国籍を手に入れた気持ちでした。韓国で私の第二の人生が、アジア人として始まりました。

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日本が持つポテンシャルを信じて(帰国〜セカンドキャリア)

Getting back to Japan, I joined Alibaba which is a Chinese company.I started to support Japanese companies to expand overseas.  I believed in Japanese companies' possibilities.

その後アジアの中で圧倒的に伸びていた、中国企業のアリババに転職。その中で日本企業の海外進出を支援する仕事を始めました。日本企業の可能性を私は信じていました。

They had great products, great services, excellent management teams, and ambitions. I was looking forward to witnessing their expansion overseas. But most of them never tried. 

素晴らしいプロダクトやサービス、優秀な経営陣や野心。彼らの海外での展開をとても楽しみにしていました。ですが、多くの企業が海外進出に踏み切りませんでした。

I know they had some reasons, I found the only reason why the excellent companies hesitate.
It's Language.
The language was the deepest blue sea for Japan.I was convinced that new experiences expand the possibilities. 

もちろん色んな事情があることは承知ですが、優秀な企業が躊躇する理由は1つでした。
語学でした。
語学が日本を出るための最も深い海でした。私は確信していました。

New experiences make you grateful and happy.
I met a beautiful Chinese lady in Alibaba, a Chinese company.She is my wife now.
It’s the power of the new experience, isn’t it?

ツールとしての語学ではなく、新しい経験や体験こそが、可能性を拡げる方法だと。
新しい経験が、感謝や幸せを作るのだと。中国企業のアリババで、美しい一人の中国人女性に出会いました。その彼女が今では私の妻です。そう、これも新しい経験じゃないですか? 笑

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発見し、その発見から出発する。(起業前夜)

In South Korea, I heard that the Philippines were famous for English schools.
Before supporting others overseas, I must show them the possibilities.

韓国にいる頃、フィリピンの英語留学が韓国の通貨危機からの復活と成長に寄与している事を発見しました。他人の海外支援をする前に、自分が海外の可能性を示さなくてはいけないと思いました。

Soon after hitting on my wife, I flew to the Philippines.I had no hesitation in going to the Philippines because I was already Asian.

ですので妻を口説いた後?笑 すぐに、私はフィリピンに飛びました。縁もゆかりもない、知り合いもいないフィリピンで起業する事に、何も躊躇う(ためらう)ことはありませんでした。私はもうアジア人なので。

I established my company in Cebu Island, and built a school for Japanese-Adults-Only.
This was the beginning of MeRISE and the start of my third life.

フィリピンのセブ島で会社を立ち上げ、日本のオトナ限定の語学留学施設を建てました。これがミライズと、私の第三の人生の始まりでした。

Sometimes, memories of the past drag you down in the negative. We tend to learn that we are helpless when we go through painful experiences. 

時に、過去の記憶があなたをネガティヴに引きずり込むことがあります。痛々しい経験をすると、私たちはまるで自分が無力かである様に学んでしまいます。

But, don’t care about it.
Just jump out and everything will follow.
I learned that from life. 

Action leads your life.
Have a New experience. 

Thank you. 

でもそんなこと、どうでもいいんです。
飛び出せば、全てがついてくる。
私はそれを人生から学びました。

自分の行動が、人生を作ってくれます。
ミライズで共に新しい経験をしましょう。
ありがとうございました。